第23話「共に」

 

 その日の試合後、二人は一度も口をきいていなかった。夕食も結局別にとった。騙したことを怒りに来るかとも思ったが、何も言ってこなかった。

 たとえそんなことでも、話すきっかけが欲しい。レインは夜、自室のベッドに寝転がしながら、むすっとした表情で天井を見上げていた。

『俺が生きている理由は、もう何もない』

 彼はあの時そう言った。最愛の人を失った彼の気持ちは少しはわかるつもりだし、絶望してしまうのもわからなくはない。自分だって同じだった。

 だが、何故だろう?

 彼がそう言ってしまう気持ちもわからなくないのに、自分はそうは思わなかった。イブリースが死んでからも、生きている理由がないなどと考えたことはなかった。

「……ああっ、もう!」

 両手で顔をおおって、悪態をつく。何故、自分はこんなにも、彼の言葉にいらついているのだろう。

 指の隙間から時計を確認する。まだ、夜の10時を過ぎたあたりだった。

「……よし!」

 自分を励ますように声をあげ、ベッドから起き上がる。一人でもやもやしていても仕方がない。こういう時は、行動あるのみだ。レインは部屋を出ると、すぐ隣のカリオンの部屋の前までやって来た。

「カリオン君、いる?」

 ドアをノックしながら呼びかける。しばらくすると、ドアの向こうから「ああ」と気のない返事が返ってきた。

「ちょっと話がしたいんだけど、いい?」

 またしばらくして、「ああ」と気のない返事。レインはさらに苛立ちが増すのを覚えながらドアを開いた。

 部屋の中では、カリオンが先ほどのレインと同じようにベッドに寝転んで天井を見上げていた。まただ、とレインは思う。天井を見上げる彼の横顔が、ひどく頼りなく見える。今日の試合で彼の強さはよくわかったはずなのに、何故こんな風に見えてしまうんだろう。

「今日の試合のことだけど……」

 レインは自分の思考を覚られないように気をつけながら、話を切り出した。

「開始時間のこと……騙してごめんなさい。それから、助けてくれてありがとう。やっぱり、私一人じゃとても戦えないみたい」

 カリオンがこちらに一瞥もくれず、「ああ」と返事をする。

「聞いてる? 聞いてたら「ああ」以外の返事をしてくれる?」

 つい、語気を荒げてしまう。それを聞いたカリオンが、初めてこちらに顔を向けた。

「何で俺が偉そうに言われなきゃなんないわけ? 悪いのはそっちだろ?」

 不機嫌そうな顔で文句を言う。だが、レインはひるまなかった。

「そうね。でも、元はと言えばあなたの昨日の態度が原因」

「昨日俺が言ったことが間違ってなかったことが、今日の試合で証明されただろ?」

「それは……」

「いいから、戦いのことは俺に任しとけ。お前には無理だ」

 それだけ言って、『話は終わりだ』と言わんばかりにそっぽを向いてしまう。その態度も気に入らなかったが、何よりその言葉を素直に聞き入れるわけにはいかなかった。

「今日の試合でわかったの。あなたには任せられないって」

 カリオンが再び顔だけをこちらに向ける。

「あんな危ない戦い方じゃ任せられない。いつ死んでもおかしくないわ」

「……あのなぁ……」

 カリオンはうんざりした様子でベッドから起き上がると、レインのすぐ前までやって来た。

「お前は俺の何だ? 恋人? 家族? 違うだろ。俺には恋人も家族ももういないんだ」

「そうじゃなくて……」

「つまるところ、俺とお前は単なる旅の連れ。たとえ俺が死のうが、お前には何の関係も……」

 ほとんど反射的だった。頭で考えるより先に、身体が動いていた。ぱんっ、と乾いた音をたてて、レインの右手がカリオンの頬を打った。

 カリオンは一瞬、何が起こったのかわからなかった。怒ることも文句を言うこともせず、少し赤くなった左頬に手を当てて、呆然とレインを見つめていた。

「いい加減にしてよ!」

 レインが初めて声を張り上げる。

「確かに私はあなたの恋人でも家族でもないわ! だからって、あなたが死んでも関係ないわけないでしょ! だったら逆に聞くけど、恋人でも家族でもない私をどうしてあなたは助けたわけ!?」

「っ……それは……」

「私が危なかったから、私が死にそうだったから。そうでしょ!? 目の前にそんな人がいたら、たとえ無関係な人でも見過ごしておけるわけない。そんなこと、あなただってわかってるじゃない! それなのに、そうやって自分のことはどうでもいいみたいな態度をとり続けて……そういうのかっこいいとでも思ってるの!?」

 何か言い返そうとしたカリオンだったが、思わず声を失った。レインの両目から、ぽろぽろと涙がこぼれていたからだ。

「今やっとわかった。あなたが頼りなさそうに見える理由。あなたの目には、力がないのよ。何も見えてない。何も映ってない。アルサルも、タライムも、先生も、皆目に力があった。しっかりと自分の行き先を見てた。でも、あなたは何も見てない。ううん、見ようとしていない。絶望して、何もかも諦めて、世界を冷笑している。だから、死んでもいいなんて簡単に言えるのよ!」

 レインの言葉の一つ一つが、カリオンの胸に突き刺さる。ノアを失って酒に走り、散々悔みぬいた揚句、彼の出した結論は一つだけ。

どうでもいい。もう何もかもどうでもいい。真剣になって、一生懸命になって、それで何かを失うのはもうたくさんだ。だから、もうやめよう。なんとなく流されて、なんとなく戦って、全て他人事のように眺めていよう。そうすれば、痛みも悲しみも憎しみも、もう何も感じないだろう。

「私も先生が死んだ時、絶望したわ。何もやる気が起きなくて、自分を見失った。でも、死んでもいいなんて絶対に思わなかった。あなたは知らないと思うけど、昔私もアルサル達と一緒に戦ったの。その戦いで、私は一度死にかけた。でもその時に、先生が助けてくれたの。この命は、先生が守ってくれたもの。たとえ先生がいなくなっても、私の命は先生と共にある!」

「……共に……?」

 なんとか声を絞り出して、それだけを呟く。

 そうだ。俺もゲーリーとの戦いで死にかけた。いや、正確には一度死んだ。でも、ノアの力を借りて、俺は生きることができた。だが、そのせいでノアは……。

「大会は棄権する。あなたとは一緒に戦えないから。それだけ!」

 そう言い残して、レインは乱暴にドアを閉めた。部屋には、一人ぽつんと佇んだカリオンだけが残される。

 しばらくはドアの前から動けず、じっと閉められたドアを見つめていた。彼女の言葉が、何度も頭の中で反復する。たくさんのことを言われて、すぐには整理できそうもなかったが、彼女の想いは十二分に伝わっていた。

「……ノア……」

 いるわけがないと知りながら、胸の辺りに手を当てる。

 お前は今、俺と共に生きているのか?

 

 

 翌朝、レインは机に頬杖をついて窓の外を眺めながら、昨日から何度目かわからないため息をついた。

 失敗した。自分の方が年上なのに、噛みつかれたからといって泣きわめいて説教するなんて。間違ったことはしていないと思うが、言葉もうまく整理できなかったし、おまけに張り手打ちまで食らわせてしまった。そのうえ、つい勢いで「棄権する」などと言ってしまったが、金を用意する算段などまったくなかった。

「……はぁ……」

 またため息がもれてしまう。

 だが、その時、部屋のドアが控えめにノックされた。

「レイン、いるか?」

 カリオンの声。驚いて、危うく椅子から転げ落ちそうになった。

「開けるぞ?」

 その言葉と共に、扉が開かれる。扉の向こうにいたカリオンは、どことなく気落ちしているようにも見えた。これでは、ますます頼りなく見える。

「あ、あのさ、昨日は……」

 逆効果だったと思い、レインは謝罪の言葉を口にしようとした。だが、

「特訓しよう」

 その言葉を遮って、カリオンは予想外の提案をした。

「え?」

「次の試合まで時間があるんだ。今のうちにコンビネーションとか作戦とか合わせといた方がいいと思うぜ。その……一緒に戦うんだろ?」

 最後は、少しバツの悪そうな表情で言った。

「レイン……その、悪かった。もう一度頑張ってみるからさ。ちょっとだけ……付き合ってくれねぇか?」

 もっと色々詫びないといけないと思ったが、いざ本人を目の前にするとうまく言葉がつながらず、なんとかそれだけを言葉にするのが精一杯だった。ちらっと、不安そうな目でレインを見上げる。

「……うん」

 そんなカリオンに、レインは気持ちのいい笑顔を浮かべてそう答えてくれた。

 

第23話 終